どうする?

いつからか、‪文字を使った仕事がしたいし文字で誰かの心を動かしてみたいと思うようになった。

食べていけるかは別にして、やりたいって思えることがあることは、悪いことではないし、夢くらい何を見たっていいかなって思ってた。でもやっぱり歳を重ねると夢ってどんどん現実味を帯びる気がする。

3歳の頃、幼稚園で短冊に願い事を書く時間があって、そこに書いてたのが「プリキュアになれますように」。今でも覚えてるこの願い事。思えば、そこで初めて「願い事」とか「夢」とかいう概念を持った。そこからは、ケーキ屋さんとかお花屋さんとか、なぜか女子高生の制服がかわいくて、女子高生になりたかった時もあった。生活の中であらゆるものを見て、それに憧れては夢見て、毎日のように夢が変わってたような気もする。

けどいつからか、正確には中学生になった時くらいから、将来の夢は、身の丈に合ったものを選ぶようになった。学力とか、運動神経とか、成績とか、自分の能力が数字に表れるようになって、そこから進路を決める。中学生の頃、夢は志望校の合格になっていた。

今思えばあの時から、夢は夢でなく、将来の計画のようになった。自分の能力が数値化されて、それに合ったものを選ぶようになった。

受験生になると、「あの高校へ行きたかったけど、成績が足りない」とか「高校なんて行けたらどこでもいい」とか、それぞれだったけど、そんな話ばかりで、「高校生になったらさ」と、進学してからのことをまるで夢の話のように話した。あの時の私たちにとって、志望校に合格することは何よりの願いだったし、目標だったし、高校生活は夢の生活だった。でも確かなことは、あの時から私たちの夢は、夢でなくなった。

あの時より、知ってることも、出来ることも増えたのに、もう私たちはプリキュアにはなれない。プリキュアにはなれないことを、知ってしまったから。もしなれるとして、誰もなりたいとは思わない。プリキュアになったって、食べていけないと知っているから。

あの時、人生で初めて抱いた「なりたい」という気持ちと、今の私が抱く「なりたい」では、大きなズレがある。3歳の自分は、もっと素直に、なりたいものを、やりたいことを、大きな声で言っていたし、何も知らなくて魔法を信じていたあの時の方が幸せだった気がしてしまう。安定とか、お金とか、それを得たところで、本当に心って満たされるのかな。本当の夢を捨てて叶える夢は、どんな味がするの。

 

体温

1.

 


一23時37分。

いつもより早く家に着く。日付が変わる前に帰るなんて、いつぶりだろうな。

 

 

 

20歳になって何も変わらなかったら、もう死んでもいいと思ってた。

ギターとスケボーだけを持って、15歳で家を出た。高校は、受験すらしなかった。俺には夢があったから、怖くなかった。知り合いの店で働きながら、なんとかやっていた。どれだけ辛くても、笑われても、夢を叶えるまでは…。

 


そんな中で出会ったのが君だった。きみは俺の夢を笑うどころか、誰よりも応援してくれていた。俺の夢は、そんな君のためにもなっていた。

 


いつからだっただろう。気づけば毎日のようにスタジオに引きこもるようになった。夢を叶えて、君が喜ぶ顔が見たかったから。

 


「これ、誕生日プレゼント。スニーカー欲しいって言ってたでしょ?」

「覚えててくれたんだ、ありがとう。…来週誕生日なのに、ごめんな、俺…」

「いいの。そのかわり!いつか武道館でわたしのバースデーライブしてよ。一番いい席のチケット、取っておいてね。」

「ありがとう。必ず叶えてみせるよ。」

「…うん。ねえ、私の事、好き?」

「うん、当たり前じゃん。なんだよ急に。」

「よかった、私も好きだよ。」

 


音楽だけで食べていけるバンドマンなんて、この世で1%にも満たない。もちろん俺も含めて。彼女の誕生日プレゼントも、まともに用意してあげられなかった。それでも君は笑ってくれた。不器用な俺に、そっと寄り添ってくれた。

 

「ねえそういえばね、会社の同僚が来月で寿退社するんだって、素敵だよね。」

「へぇ、そうなんだ。おめでたいね。」

「お相手の方、うちの取引先の方らしいの。そんなところで出会いなんてあるもんなんだね。」

「俺そういうのよく分かんないや。そんなことよりさ、来月またライブさせてもらえることになったんだよ。なかなかの規模らしいし、これはチャンスだよな、21日なんだけど空いてる?」

「…どうだろう。その日は仕事休めないや、ごめんね。でもその日って記念…」

「そっかぁ、残念。」

俺は一日でも早く夢を叶えたかったから、声がかかれば絶対断らなかった。貯金なんてないし、毎月ギリギリだったけど、夢を叶えるために。それに、夢を叶えれば

 


君を幸せにしてあげられるから。

 

 

 

早く帰れたのはよかったけど、今日は雨だったから、君から貰ったお気に入りにのスニーカー、ちょっと汚れちゃったな。まだ履いて2週間も経ってないのに。

最近は夜中までバンドのメンバーと一緒にいるし、ライブハウスから声をかけられることも増えたし、食べていくにはまだまだだけど、なんとか音楽でお金をもらえるようになった。少し忙しくなって、君とは以前のようには会えないし、連絡もあまりとれないから、寂しい思いをさせてる。でもこうやって夢に近づくのを、きっと君は喜んでくれるよね?

 


先週の君の誕生日も、まともに祝ってあげられなかったし。そういえば最近、連絡とってないな。前までなら、しつこいくらいメールくれてたのに、仕事忙しいのかな。今日はいつもより早く帰れたし、久しぶりに電話でもしてみようかな。前までなら履歴は君で埋まっていたのに、今は知らない番号ばかり。ライブハウスの人、連絡先に登録しておかないとな。

 


「んだよ、いっつも電話出てって怒るくせに…。」

電話に出ないといつも怒る君が、メールをくれないどころか電話にも出ないから、心配だったけど、電話に出ないことが、ある種の返事のようなものということだと。考えたくないけど、それ以外考えられなかった。

 


一次の日。

「お邪魔します。」

そう言う君には、やっぱりいつもの笑顔がなかった。

「おはよう、どうしたの?元気ないね。体調悪いの?」

核心に迫ることを恐れる俺に君は 大丈夫だよ、の一言しか言ってくれなかった。

これから君が何を言いたいのか、どこかでわかっていた。

 

 

「昨日は何してたの?心配するじゃん、電話出ないし…」

 

君の考えてること、君が言いたいことと答え合わせをするように、優しく問いかけたけど、どうか間違いであるようにと祈った。

 

 

 

「あのね、」

少し間が空いて、君はうつむいたまま話し始めた。

「夢があること、否定するつもりはないよ。でも私たちもう、そんなことばっかり言ってられる歳じゃないよね。」

言葉にしたのは、今日が初めてだった。

「でもいちばん応援してるって、愛してるよって…」

「言葉なんて、なんとでも言えるよ。でもさ、

 

 

 

形の見えないものは、愛なんかじゃないでしょ。」

 

 

君が話している間も、ずっと返事を考えてなのに、言葉が出なかった。もう君が何を言いたいのかなんて、とっくにわかっていたから。

 


「全部馬鹿げてる。この関係に、先が見えないの。好きの一言も言ってくれないし、この先私たち、どうなっていくの?あなたの描く未来は、大きな会場にたくさんの人がいて…そのステージにいることでしょ?私がいなくても…だからもう、私たち…」

「本当にそう思うの?じゃあなんで、泣いてるの?」

 


君の言葉を塞ぐように聞いた。その涙は、君の最後の、精一杯の優しさだった。君だって本当はこんなこと、言いたくなかったんでしょ?俺だってそんなこと、聞きたくないんだよ。

 

 

 

さよならを言わせないように

くちづけで君の言葉とざしたんだ

何故なんだよ?言葉以上に 唇から伝わる

 


体温

 

 

 

2.

 


「さよなら。大好きだったよ。」

そう言って、君が振り返ることはなかった。

大好き、「だった」。君は今までの俺たちを否定しなかったけど、それは同時にもう今は気持ちがないということを伝えていた。

夢じゃないかと思った。悲しすぎて泣けなかったから、俺は笑っていた。


一それからどれだけたっただろう。

俺は相変わらず、毎日スタジオへ出かけては、時々知り合いのライブハウスで、週に何度かライブをさせてもらってる。仕事と呼ぶには早いけれど、夢が叶っていくのが、目に見えて分かるような日々だ。君がくれたスニーカーは、かかとがすり減ってるけど今でもちゃんと大切に履いている。もう今は、雨に打たれてもなんとも思わないようになったけど。別れた恋人からのプレゼントを使い続けるなんて、女々しいことかもしれないけど、これは君と叶えたかった夢だから。

 


俺はずっと、夢を見ていたいし、現実でお腹いっぱいになるほど、俺は満たされていない。理想通りの未来がある君は、夢の中から、現実へと離れていった。追いかけようとしたこともあったけど、もうやめた。素敵な未来を約束してあげられなくて、君を幸せにしてあげられなくて、ゴメンね。こんな簡単な言葉すら言ってあげられなかったけど、「大好きだったよ。」

 


形のないものは、愛じゃないと君は言ったけれど一。

 

 

 

何もかも見えないからこそ

愛の本質が見えてくるんじゃないか?

 

 

 

でも正直、俺だって分からない。こんなこと言ってるけど、綺麗事を抜いたら、1番大切なものなんて分からない。でも、

 

 

 

「サヨナラ」のその一言だけで

消えてしまうものなんて一つも無かったんだ

これもちがうのかい?離れようとはしない

唇に残ってる 形のない 見えない

 


体温

 

 

 

思うこと

これは正解か不正解かとか、善か悪かとかそういうことではないです。あくまでも自分の考えというだけで、それ以上のものを持たないものだと思って欲しいです。

まとまった文章ではないので見づらいと思います。

 

以下はあくまでも日記です。iPhoneのメモをもとに振り返ってます。

 

 

2月26日、16時ごろだったでしょうか、ファンクラブからメールが来ました。

内容は、数時間後に行われる予定だったライブ、次の日の公演、その後の公演も全て延期になったということでした。理由は、新型コロナウイルスの拡大によるものでした。私は当時札幌に到着し、ホテルにチェックインして、会場へ向かう準備をしていました。

一人で札幌へ来たのはもちろん、一人で飛行機に乗ったのも初めてでした。初めてのことだらけで、疲れもありましたが、確実に楽しみな気持ちの方が大きくて、これからの二日間のライブが楽しみで仕方ありませんでした。得意ではないメイクも、髪のセットも、全てが楽しくて、大好きな人たちに一番可愛い自分で会いたい一心でした。

話は少し逸れますが、恋人も、好きな人もいない自分にとっては、彼らに会うために自分磨きを頑張っているのです。自己肯定感が低く、自分を好きになることがどうしても難しいけれど、彼らのためにメイクの勉強をしたり、ダイエットしてみたり、、効果があるかはさておき、そんな自分のことは少しだけ好きになることができました。そして何より、UVERworldが好きなことが何よりの誇りなのです。

そんな彼らのライブだから、札幌まで行くのも何も迷いませんでした。

 

札幌公演は、二日間ともTAKUYA∞さんのブログの連続更新6周年をお祝いするライブでした。このライブは発表された日から絶対に行くと決めていました。TAKUYA∞さんが連続更新を始めた2014年は、私がUVERworldと出会って、Crewになった年で、勝手ではありますがそれと重ねて、自分にとってもある意味6周年だったからです。そして、4年前に東京で行われた2周年をお祝いするライブに行けなかったので、リベンジの気持ちもありました(4周年は部活の関係で応募すらできませんでした)。去年一枚も取れなかったライブハウスのチケットが、奇跡的に二日間とも取れたときは、自分は世界で一番幸せだと、本気で思っていました。

そんな公演が、直前に延期と発表されました。あと数時間で、開演のはずでした。

この日のために染めた髪も、前日必死に考えた参戦服も、メイクも、巻き髪も、札幌まで来たことすら、全てが無駄になりました。ホテルで一人、声を出して泣きました。当時のことをよく笑い話にして友達に話しましたが、本当はすごく辛かったです。ぐちゃぐちゃになる感情を抑えて、冗談なしに、吐き気が止まりませんでした。それと同時に、受け入れられないようなこの現実を、なぜか疑いの一つもなく受け入れられている自分への怖さが、ひとしきり泣いて上がりきった体温をスッと下げていきました。これは夢じゃない、そう理解するのに、時間など全く必要ありませんでした。

現実逃避のつもりで開いたSNSでは、前日には「自分の息子がこんな状況の中でも参戦すると言っているがどうしても許せない。ライブをするのをやめてほしい。」とか、「自分は行かないけれど、こんな中でライブをするなんてファンとして見損なった。」とか、自分自身はチケットすら持っていないのに開催を批判していた人たちが、延期を発表した途端に「ありがとう。」、「UVERworld最高。大好き。」と言っていました。この判断に、誰も知らないところで一人で涙を流した人がいることや、どれだけこのライブに思い入れがあったのかをこの人たちは知らないだろうと思うと悔しかったし、簡単に批判的な言葉を投げる人たちが、手のひらを返して最高とか大好きとか言ってることに余計に吐き気がしました。

三日間、帰ることもできないので札幌で過ごしました。気持ちだけでも、と思い開演時間に会場へ行くと、本当ならたくさんのCrewと熱気で溢れているはずのZepp Sapporoが、真っ暗闇の中で、静かに雪を被っていました。

入り口にはスタッフの方々立たれていました。看板の写真を撮っていると、

「チケット、大切に持っていてください。」

と声をかけてくださいました。

「振替公演、いつまでも待ってます。寒い中ありがとうございます。」

と伝えて会場を後にして、マイナス二度の札幌の繁華街を一人歩きました。そんな三日間でした。

 

 

ここまで長々と書いておいて、この文章で私の気の毒な経験に同情して欲しいわけではないということを今更言ってももう遅いかもしれませんが、私が伝えたいことは、早くライブへ行きたいということ、ただそれだけです。札幌公演の振替ももちろん、今年はUVERworldの結成20周年、デビュー15周年の記念すべき一年です。大切な一年だから、早くライブを開催できるようになってほしい、ただそれだけです。

他の人から言わせてみれば、これはただの趣味です。たしかに、私はただのファンの立場であって、ライブがなくても生きていけるし、世界中が苦しい状況で、こんなことを訴えるのは自分勝手だとは思います。

でも私にとってUVERworldは、自分を好きになれるきっかけで、生きる糧です。UVERworldは、間違いなく私の全てです。だから現状に早くトドメを刺したいのです。

めんどくさがりながらも通っていた学校、バイト、行く前から計画だけで盛り上がっていた旅行、約束していた友達とのご飯、恋人との記念日のデート、、それぞれウエイトに差はあれど、皆さんにも戻りたい日常や、生きる糧があったはずです。

日常を取り戻すには、非日常に耐えなければいけません。これを勝ち負けで表すのが正しいのかはわかりませんが、この戦いに勝つには、数字で結果を出すしかないのです。目に見えないものに対して、目に見える結果を出すのです。結果を出すも出さないも、人間しかいません。あの日からわたしが感じていることは、人間は本当に愚かで無力であるということです。自分の都合ですぐに手のひらを返すし、結局は自分のことが一番可愛いし、見えないものに怯え、抗えないのに、自分のしたいことは我慢できず、後に誰かを批判する。もちろんこれは自分にも言えることです。しかし、立ち向かい、手を取り合い、戦えるのもまた、人間です。私は、大切な何かのために戦い、自分を犠牲にできる人間をまだまだやめたくないし、信じていたいです。

 

この考え方が正しいかどうかは正直わかりませんが、好きなもののために行動する姿勢は、きっと嘘をつかないと思っているので、1日でもはやく、みんなで、好きなことを全力で楽しめるようにできたらいいなと思っています。

どうか自分の大切なものを手放さなくていいように。

 

人が、したいことのためにしたくないことができるのは、その先に会いたい人がいるからです。見たい景色があるからです。どうか少しでも早く日常が戻りますように。

 

まとまりも語彙力もマイナス二度に置いてきた文章をここまで読んでくださった人がいらっしゃったら、あなたに心からの感謝を。

 

UVERworld UNSER TOUR

 

去年の年末にiPhoneにメモしていたものをもとに投稿します。

※注意※

これは、2019年に行われたUVERworldのニューアルバムツアー UNSER TOURに参戦し、その感想を完全主観かつオタク目線で書いたものなので、解釈の違いや表現に問題がある場合があります。

 

まず、ツアーのスケジュールは以下の通りでした。

 

11/23・11/24  セキスイハイムスーパーアリーナ グランディ・21(宮城)

12/3・12/4  大阪城ホール(大阪)

12/16  duo MUSIC EXCHANGE (東京): Warm-Up GIG

12/19・12/20  東京ドーム(東京): 20日 男祭り

12/21  横浜アリーナ(神奈川): TAKUYA∞生誕祭

12/24・12/25  神戸ワールド記念ホール(兵庫): Premium Live on Xmas

12/30・12/31  マリンメッセ福岡(福岡)

 

私は日にちが太字になっている公演に参戦しました。本当は全公演に足を運びたかったところでしたが、学校の授業との兼ね合いや金銭面、何よりチケットの争奪戦にことごとく敗北しました。しかし、一年に一公演しかいけなかった年もありますし、十分です。

 見ていただければわかりますが、なかなか過密なスケジュールです。毎年のことですが、あのクオリティのライブをここまでの数こなすことがどれだけ凄いことか…。

10枚目の記念すべきアルバム「UNSER」を掲げたツアー。ファンとしてしっかりと見届けられたことをとても誇りに思います。

ツアーが始まった時には発売すらしていなかったアルバムも、ライブを重ねるたびに浸透して、ツアーファイナルへ向けて盛り上がりは加速度を増していくのを感じました。また、新曲が次々と披露される中で組み込まれるレアな過去曲たちが、UVERworldが辿ってきた歴史を再確認させると共に、止まらぬ躍進を更に感じさせてくれました。

 

※以下閲覧注意!!!クソオタによるTAKUYA∞さんへの愛が止まっておりません。

 

ツアーの後半戦は、7日間でドーム公演を含む5公演をこなし、4日後にはアリーナ公演を2デイズ。その中で酷使されるTAKUYA∞さんの喉は、きっと限界を迎えていただろうし、毎日が限界突破の日々だったと思います。

しかし彼はそれをある意味認めていなかった。一曲一曲、何一つ手を抜かず、妥協せず、心から歌い切り、私たちCrewに熱いメッセージを伝えてくれました。決して限界を感じさせないその姿勢は、彼にとっては当たり前のことで、どれだけ過酷な状況でも、彼はそれを幸せと呼べるほど、強くて、何よりUVERworldを愛しているのが伝わってきました。

しかし、そんな彼でもどうしても限界があって、やはり公演を重ねるほど声は出づらくなっていることを認めざるを得ない場面が目立つようになっていました。

 

しかし私は、仕方がない、というよりはむしろそんな彼の姿にどこか安心してしまいました。

 

今まで私の目に映る彼は、あまりにも強すぎて、見ていて少し不安になるほどでした。

以前にTAKUYA∞さんが、

「俺の長所は、強いところ。短所は、強すぎるところ。」

と言っていましたが、まさにその通りで、でも私はその強さに憧れて、支えられていました。

彼だって人間なのだから、弱さはある。分かっていたのに、どこかでそれを信じていない自分もいて、やっぱり彼は強いから、こんなに弱い自分とは別次元にいる存在だと思っていました。そんな彼にも、弱さがある。声が出ないことがある。涙を流すこともある。それが無性に嬉しかったのです。自分と同じ部分を持っていることに、安心しました。

 

この背中は、追いかけていいのだと思えました。

 

しかし彼の本当の強さは、この弱さを見せられることだと思います。人に弱さを見せられることは、ある種の強さで、「歌ってくれ」とマイクを観客席へと向けられることも、涙を流して「ありがとう」と伝えられることも、それは何も、弱いからではなく、ファンを信じられる強さがあるからだと。やはり彼は強い、強くて、優しいのです。

そんな彼が、1秒でも長く、ステージに立っていられる日々が続いて欲しい、そしてその姿を見ていたいと思いました。

 

そんなことを考えながら歌ったAFTER LIFEは、一層特別な思いが溢れ、隣のお兄さんたちのことなど微塵も気にせず、福岡で一人、号泣していた大晦日でした。