体温

1.

 


一23時37分。

いつもより早く家に着く。日付が変わる前に帰るなんて、いつぶりだろうな。

 

 

 

20歳になって何も変わらなかったら、もう死んでもいいと思ってた。

ギターとスケボーだけを持って、15歳で家を出た。高校は、受験すらしなかった。俺には夢があったから、怖くなかった。知り合いの店で働きながら、なんとかやっていた。どれだけ辛くても、笑われても、夢を叶えるまでは…。

 


そんな中で出会ったのが君だった。きみは俺の夢を笑うどころか、誰よりも応援してくれていた。俺の夢は、そんな君のためにもなっていた。

 


いつからだっただろう。気づけば毎日のようにスタジオに引きこもるようになった。夢を叶えて、君が喜ぶ顔が見たかったから。

 


「これ、誕生日プレゼント。スニーカー欲しいって言ってたでしょ?」

「覚えててくれたんだ、ありがとう。…来週誕生日なのに、ごめんな、俺…」

「いいの。そのかわり!いつか武道館でわたしのバースデーライブしてよ。一番いい席のチケット、取っておいてね。」

「ありがとう。必ず叶えてみせるよ。」

「…うん。ねえ、私の事、好き?」

「うん、当たり前じゃん。なんだよ急に。」

「よかった、私も好きだよ。」

 


音楽だけで食べていけるバンドマンなんて、この世で1%にも満たない。もちろん俺も含めて。彼女の誕生日プレゼントも、まともに用意してあげられなかった。それでも君は笑ってくれた。不器用な俺に、そっと寄り添ってくれた。

 

「ねえそういえばね、会社の同僚が来月で寿退社するんだって、素敵だよね。」

「へぇ、そうなんだ。おめでたいね。」

「お相手の方、うちの取引先の方らしいの。そんなところで出会いなんてあるもんなんだね。」

「俺そういうのよく分かんないや。そんなことよりさ、来月またライブさせてもらえることになったんだよ。なかなかの規模らしいし、これはチャンスだよな、21日なんだけど空いてる?」

「…どうだろう。その日は仕事休めないや、ごめんね。でもその日って記念…」

「そっかぁ、残念。」

俺は一日でも早く夢を叶えたかったから、声がかかれば絶対断らなかった。貯金なんてないし、毎月ギリギリだったけど、夢を叶えるために。それに、夢を叶えれば

 


君を幸せにしてあげられるから。

 

 

 

早く帰れたのはよかったけど、今日は雨だったから、君から貰ったお気に入りにのスニーカー、ちょっと汚れちゃったな。まだ履いて2週間も経ってないのに。

最近は夜中までバンドのメンバーと一緒にいるし、ライブハウスから声をかけられることも増えたし、食べていくにはまだまだだけど、なんとか音楽でお金をもらえるようになった。少し忙しくなって、君とは以前のようには会えないし、連絡もあまりとれないから、寂しい思いをさせてる。でもこうやって夢に近づくのを、きっと君は喜んでくれるよね?

 


先週の君の誕生日も、まともに祝ってあげられなかったし。そういえば最近、連絡とってないな。前までなら、しつこいくらいメールくれてたのに、仕事忙しいのかな。今日はいつもより早く帰れたし、久しぶりに電話でもしてみようかな。前までなら履歴は君で埋まっていたのに、今は知らない番号ばかり。ライブハウスの人、連絡先に登録しておかないとな。

 


「んだよ、いっつも電話出てって怒るくせに…。」

電話に出ないといつも怒る君が、メールをくれないどころか電話にも出ないから、心配だったけど、電話に出ないことが、ある種の返事のようなものということだと。考えたくないけど、それ以外考えられなかった。

 


一次の日。

「お邪魔します。」

そう言う君には、やっぱりいつもの笑顔がなかった。

「おはよう、どうしたの?元気ないね。体調悪いの?」

核心に迫ることを恐れる俺に君は 大丈夫だよ、の一言しか言ってくれなかった。

これから君が何を言いたいのか、どこかでわかっていた。

 

 

「昨日は何してたの?心配するじゃん、電話出ないし…」

 

君の考えてること、君が言いたいことと答え合わせをするように、優しく問いかけたけど、どうか間違いであるようにと祈った。

 

 

 

「あのね、」

少し間が空いて、君はうつむいたまま話し始めた。

「夢があること、否定するつもりはないよ。でも私たちもう、そんなことばっかり言ってられる歳じゃないよね。」

言葉にしたのは、今日が初めてだった。

「でもいちばん応援してるって、愛してるよって…」

「言葉なんて、なんとでも言えるよ。でもさ、

 

 

 

形の見えないものは、愛なんかじゃないでしょ。」

 

 

君が話している間も、ずっと返事を考えてなのに、言葉が出なかった。もう君が何を言いたいのかなんて、とっくにわかっていたから。

 


「全部馬鹿げてる。この関係に、先が見えないの。好きの一言も言ってくれないし、この先私たち、どうなっていくの?あなたの描く未来は、大きな会場にたくさんの人がいて…そのステージにいることでしょ?私がいなくても…だからもう、私たち…」

「本当にそう思うの?じゃあなんで、泣いてるの?」

 


君の言葉を塞ぐように聞いた。その涙は、君の最後の、精一杯の優しさだった。君だって本当はこんなこと、言いたくなかったんでしょ?俺だってそんなこと、聞きたくないんだよ。

 

 

 

さよならを言わせないように

くちづけで君の言葉とざしたんだ

何故なんだよ?言葉以上に 唇から伝わる

 


体温

 

 

 

2.

 


「さよなら。大好きだったよ。」

そう言って、君が振り返ることはなかった。

大好き、「だった」。君は今までの俺たちを否定しなかったけど、それは同時にもう今は気持ちがないということを伝えていた。

夢じゃないかと思った。悲しすぎて泣けなかったから、俺は笑っていた。


一それからどれだけたっただろう。

俺は相変わらず、毎日スタジオへ出かけては、時々知り合いのライブハウスで、週に何度かライブをさせてもらってる。仕事と呼ぶには早いけれど、夢が叶っていくのが、目に見えて分かるような日々だ。君がくれたスニーカーは、かかとがすり減ってるけど今でもちゃんと大切に履いている。もう今は、雨に打たれてもなんとも思わないようになったけど。別れた恋人からのプレゼントを使い続けるなんて、女々しいことかもしれないけど、これは君と叶えたかった夢だから。

 


俺はずっと、夢を見ていたいし、現実でお腹いっぱいになるほど、俺は満たされていない。理想通りの未来がある君は、夢の中から、現実へと離れていった。追いかけようとしたこともあったけど、もうやめた。素敵な未来を約束してあげられなくて、君を幸せにしてあげられなくて、ゴメンね。こんな簡単な言葉すら言ってあげられなかったけど、「大好きだったよ。」

 


形のないものは、愛じゃないと君は言ったけれど一。

 

 

 

何もかも見えないからこそ

愛の本質が見えてくるんじゃないか?

 

 

 

でも正直、俺だって分からない。こんなこと言ってるけど、綺麗事を抜いたら、1番大切なものなんて分からない。でも、

 

 

 

「サヨナラ」のその一言だけで

消えてしまうものなんて一つも無かったんだ

これもちがうのかい?離れようとはしない

唇に残ってる 形のない 見えない

 


体温