唯一

私にとって、家族で唯一信頼しているのは兄だけだ。そんな兄との話を書きたいと思う。

幼稚園の頃、絵を描くのが好きだった私に、兄は毎日のように戦いをしようと誘ってきた。戦い、と言っても、言わば怪獣ごっこのようなものである。本当はずっと絵を描いていたかったけれど、戦いに付き合ってあげていた。今思えば、3.4歳にしてはよくできた妹だと思う。

ピアノや書道など、習い事はもちろん、高校、大学と、進路まで、私は全て兄の真似をしていた。兄は小学生の時から人々の中心にいたので、その妹と言うだけでどこへ行っても勝手に顔が広かったし、「あいつの妹だから」というだけで勝手に評価が上がることだってあった。なんて都合のいい、というかおいしいポジションなんだと何度も思った。それと同時に、兄の名に恥じぬよう、真面目に生きようと、自然と何事も頑張ることができた。

兄が反抗期だった時期は、正直地獄のような日々だった。普通に接すると何をしても八つ当たりされたし、家で発言する権利をほぼ奪われていた。兄が高身長だったのもあり、すれ違うだけで怯えるほど脅威の存在だった。それでも、時々一緒にゲームをしてくれたり、一緒にテレビをみて笑ってくれる兄を、嫌いになれなかった。

6歳からサッカーをしてきた兄が、現役を引退した時は、自分の引退試合よりも泣いた。本人は泣いていないのに、なぜか私が家族の誰よりも泣いていた。3歳の頃から、気分が悪くなるくらい暑い夏も、後日体調を崩すくらいに寒かった冬も、立っていられないくらい強い風の日でも、傘の意味がないくらい雨が降る時も、飽きるほど試合の応援に行っていたから、兄がどれだけ頑張ってきたかを考えると、なぜか涙が止まらなかった。あんなに億劫だった試合観戦だったのに、もうこの姿を見れないのだと思うと、寂しくて仕方がなかった。

大学生になって、高校の部活のコーチを始めた兄は、私の同級生を指導することになり、サッカー部の人たちに「あのコーチの妹らしい」と言って無駄に怖がられた。あらぬ噂を立てられて、勝手に距離を取られた。部員の中では、「コーチは妹のことがとても好きで、兄妹仲がいいから、妹に変なことをすると俺たちはどうなるか分からない」、そんなことが囁かれていて笑ってしまった。そんなわけないのに。

大学三回生の秋頃、コーチと掛け持ちで、高校から通っていたトレーニングジムのお手伝いをしていた兄が、そこで本格的に働くことになり、さらに国家資格を取るために、専門学校へ通うことになり、コーチをやめることになった。コーチをやめるかやめないか、就活をせずにそこで働くこと、専門学校に行くこと、色々なことで両親と揉めていた日々は、私にとっては息苦しくて、とても居心地が悪かった。この頃から、兄と両親がなんとなく険悪になった。

結局コーチを辞めて、本格的にジムで働き始め、専門学校の入学試験の勉強をし、無事に専門学校へ入学したわけだが、当時兄はまだ大学に在学中で、まさに三足のわらじの生活を送っていた。この頃、兄と両親はよく揉めていた。反抗期以来の、居場所のなさだった。家にいたくない、家にいるのが辛い。私は逃げるように出来るだけ外に出かけるようになった。生活リズムの違いもあり、噂を立てられるほど仲が良かったはずの私たちは、同じ家に住むのに会話を交わさない、それどころか、会うことすらほぼなくなった。時々話しても、心ないことを言ってきたり、理不尽なことをされたりしたので、早く出て行けと毎日願うほど私の中で兄は邪魔な存在になっていた。

兄は突然実家を出て行った。職場と専門学校が実家から遠かったから、近くで一人暮らしを始めることになったそうだ。母はよく、「あなたはあいつみたいに自分勝手で薄情な奴にはなるなよ。安定した職について、とにかくあんな生き方はするな」と、兄のことを反面教師のように話してきた。私は、両親との口論も見なくて良くなるし、嫌なことをされなくて済むからと、内心ほっとしていた。これで平和な日々がやってくる。そう思っていた。

兄が出ていくと、家が一気に広くなった気がしたし、空気が軽くなった気がした。今思えばそんなの、とんだ勘違いだった。

私が小さい頃から、両親はよく喧嘩をしていたけれど、兄が出て行ってからもそれは当たり前のように続いた。日に日に関係が険悪になっていたのが加速したような気がした。兄さえいなくなればと思っていたのに、また家にいるのが辛くなった。

ここでは詳しく書かないが、それからも家族の間で色々なことがあり、精神的に追い詰められてしまった私は、大学生活をまともに送れなくなった。大学へ行くと、周りのみんなは、新生活に胸を踊らせ、楽しそうだった。私はこんな状況なのに。それを見ているのが辛くて、大学へ行くのが辛くなった。でも、家族や友達には迷惑をかけられないから、毎朝起きて、着替えて、メイクをして、ちゃんと家を出て、学校へ向かうのだが、授業に出ずに図書館で過ごしていた。時々授業へ出ては、全く聞かずに友達と話したり携帯を触ったり、ずっと一人で寝ていたり。昼休みは高校から仲のいい友達と話して、学校が終わるとバイトへ行って、あたかも普通の大学生活を送ってきたかのように帰宅した。両親にも友達にもバレないように必死だった。時々授業を受けても、当然授業は理解できないし、成績は最悪だったし、時々行くサークルは馴染めないし、一回生の前半は、本気で生きてる心地がしなかった。

そんなある日、突然兄から電話がかかってきた。最近どうだ、元気にやっているか、と。私は心配をかけたくなかったので、元気にやっていると答えた。兄はその日の夜家に泊まりに来いと言ってきた。授業の用意しか持ってきていなかったけど、私はその日兄の家に帰った。夜遅くまで仕事漬けの兄の仕事終わりを待って合流したのは22時ごろで、そこから近所のスーパーへ行った。行き道、大学はどうだと聞かれた。行っていないなんて言えなかったから、楽しくやってる、けど勉強が難しいと、それっぽいことを言った。兄は私の作り話を、そうか、と適当に流した。スーパーに着くと、「給料入ったところだし、専門学校の学費の奨学金があるから俺は今金持ちなんだ。なんでも買ってあげるぞ。家になんにもないから、ジュースとかおかしとか、買っておけよ。」と言ってくれた。職場は、高校からの付き合いで雇ってくれたとはいえ勤務内容には到底居合わない給料なこと、その中から、家賃や生活費、専門学校の学費を払っていて生活はギリギリなことを私は知っていた。お金なんてないのを分かっていたけど、兄の優しさがうれしかった。半額になったお菓子や、特売になっていたジュース、売り場で一番安かったアイスを買ってもらった。兄妹なのだから、ここまで気を使わなくてもいいのかもしれないけど、私にはそれが精一杯の贅沢だった。

帰り道に色々話していると、「家にいるのが辛かったら、出て行ったらいい。お金のことはなんとかなるし、俺と住んでもいい。」と言ってくれた。その時初めて、そのきっかけを作ってくれたのだということを知った。たった一人、家族を捨てたように家を出た兄は孤独な私のことを分かっていた。早く出て行けばいいと思っていた自分が憎くなった。

次の日の朝、私は普通に家に帰ったが、別れ際に「またいつでも来い」と言ってくれた。居場所のない気持ちがどこか満たされた気がした。

それからも、定期的に連絡を取り合って、悩みを相談したり、買い物に出かけたりして、昔よりも仲が良くなった気がしている。実家にはほとんど帰ってこないし、両親とは連絡を取っていないらしいが、そんな兄は、家族の中で唯一全てを理解してくれていて、信頼している人だ。

いつかこれ、全部話せたらいいな。

はやく結婚してくれよ〜なんてな〜。